◆errare humanum est -10-

――2009.02.28

艶やかな笑みと共に細い五連鎖の首飾りがするりと“鎌首”をもたげる。
鎖の銀色そのままに蠢き始めた五匹の蛇を己が身に従え悠然と佇む様は女神と見紛う程。
……女神は女神でも、銀の雨が齎す歪な死の女神。

「ふふ、若い子供の血が啜れるのは何年振りかしら」
「……まるでここ数年子供は食べてませんでしたとでも言いたげだな」
「そうかしら？　でもその指摘は的を射ているわよ」
「は、何処まで大嘘だか」

黒いキャスケットに黒いコート姿の少年は、先生と呼んだ女性の変貌を静かに見据える。
眉ひとつ動かさず、ただ静かに。

「先手位くれてやるよ、命まで差し出す心算は無えけどな」
「ふうん、余裕綽々じゃない。だけど武器の一つも無しになんて無謀じゃないかしら」
「まあ、な。このままじゃ流石に重傷コースだ」

コートのポケットに入れたままの左手を静かに抜き出す。
その手の、中には。

「――Ignition!」

覚醒の合図は空気に溶ける幽かな呟き。
音無き疾風と共に、少年の纏う黒が掻き消えていく。
雪の白に染まり風に煽られるキャスケットとコートに踊るふたつの銀の花。
――蔓巻く鉄線と、舞い散る六花。
右手には黒地に銀の装飾が絡む鞘に収まる直刃の刀が現れ、
主の手で鞘から抜き放たれると同時に幾つもの回転動力炉が唸りを上げ始めた。
その駆動音が呼び寄せたか、少年の周囲に薄霧が生まれていく。

「……来いよ、黄泉津へ熨斗付けて突っ返してやる」

戦の始まりを告げる、薄い笑みと共に。



深い刃傷で両断された墓石が又一つ倒壊する。
衝撃波に抉られ、砂利と墓だった破片とが雨の如く降り注ぎ、土煙を舞い上げる。
柱が吹き飛ばされた鐘楼は半ば傾き、梵鐘は既に金属塊に成り果てて。
特殊空間内に再現された墓地は時が経つと共に石の更地に変わりつつあった。
たった一つの、墓石を除いて。

黒髪のリリスが身に従えた蛇も残り一匹、長い髪も所々斬り飛ばされ血で縺れて。
刀を構える少年の衣服は血と砂で染め上げられ、左足の下の砂利が紅く滑り。

互いに満身創痍とはいえ、分はリリスにあった。
少年が傷を負う程、血を流せば流す程その返り血が力になり得るリリス。
人と根本的に違う禍津の者と、超常の力を操る人間との差が、徐々に現れ始めていた。

「いい加減、もう疲れたでしょ？　そろそろ楽にしてあげるわ」
「てめえの現状とっくり見てから物言え、蛇無しリリスが何をほざく」

まだ一匹残ってるわと嘲笑おうとした刹那、放たれた水刃に最後の１匹が射抜き飛ばされ。
哂ったのは額と頬から血を流す眼前の少年の方。

「ほら、蛇無し」
「両手両足動くままだと碌な事しないわね……その足完全に駄目にした方が良さそうかしら」
「はは、言うならやってみろよ。さっきから散々返り討たれて傷増やしてるだけじゃねえか」
「口だけはどんどん達者になる辺り流石じゃないの、でも劣勢の裏返しね」
「そりゃどうだろ……俺は多勢に無勢とか背水の陣とか逆に燃える性質だから褒め言葉だ」

宣言とも取れる悪態通り、確かに彼の瞳に宿る戦意は時と共に増していくばかり。
――無駄に時間を過ごせば引っ繰り返される。そう彼女に思わせる程に。

「……そう。でも、最後にしましょ。次に立っていられた方が勝ちよ」
「勝ちも何も、消えるのはお前の方だ」

嘲笑うリリスと、哂う少年。

この数瞬後、全ての勝負が決まるかと思われた。





……だが突如舞い上がった土煙が収まった時、偽りの墓地の人影は――三つ。

一つは宙に、一つは地に。


最後の一つは、地に転がる者に覆い被さっていた。

その背に、無数の刃の羽根を突き立たせ。