◆errare humanum est -5-

――2002.01.23

「……おはよ、怜」
「おはよー、いちるくん！　でもどーしたのその絆創膏」
「オーブンから出したての天板掠った」
「ええっ！？　それすんごい熱かったんじゃないのだいじょうぶなの！？」
「左手全体に熱湯ぶちまけた時よりは相当マシ」
「ちょっと待ってよー！？　どうしてそんなすごい事にっ」
「“それしか出来る事が無い”から」
「？」

……やっぱり絆創膏貼ってりゃ気付くか。腕や指ならまだしも頬だからな。

世の中に興味が無いわけじゃない。
ただ俺の場合、ある時まで自分の興味が向けられるものが殆ど無かった。
双姉のはたるが幼い頃から色々な事に興味を示していたのとは１８０度違った、と。
それまでの間に能動的にしていた事といえば、雨の日に窓の傍に座って水音を聞く事位。
小学校に上がるまではプールにも時々通っていたが、今はもう殆ど行かなくなった。
……水泳スクール関係者に人並み以上に速く泳げる人間としてマークされたからだ。
水中呼吸の能力は異能である、その事を時折忘れるが故の弊害でも、あった。

そういう生活の俺に対し、両親は少々強引な手段に出た。
父さんは雪国暮らしの強みともいえるウィンタースポーツ全般を俺に叩き込み、
母さんは余裕があれば何時でも台所に俺を引っ張り込んで食事を作る手伝いをさせた。

……そう、それは今となっては俺を構成する要素の中でも重要な位置を占めるもの。

どちらにせよ始めは何をしても失敗ばかり、成果よりも怪我の数の方が多かった。
それでもいつしか、あれも出来るこれも出来る、なら今度はああしてみようと思うようになり、
いつの間にか呼吸と同じようによどみ無くこなせるようになった事。


「怜」
「なーに？」
「あげる」

鞄から取り出した物をぽすっ、という音と共に怜の掌に乗せた。
中の物を考えると余りにも飾り気の無い紙袋。

「開けてもいい？」
「先生来るまでにな」

……何か物凄く怜の目がキラキラしてるのは気のせいか。
まあ密閉とか無理な紙袋だから中身が何だか予想がついたんだろうけど。

「うわぁクッキーだクッキーだー！　どうしたのこれいちるくんが作ったの！？」
「……怜、声デカい」

無意識に窓側に逃げる俺の視線。……周囲から豪い注目浴びてるの分かるんだけど俺。
特に女子方面から、かなり。
……そうか男がクッキーとか作ったら悪いかコノヤロ。

「あー、いーなー怜、いちのクッキーとかレアモンじゃねーか」
「なあいち俺等の分ねーの俺等の？」
「今日は怜の分しか持って来てない。同じ生地まだ冷凍庫にあるから明日にしろ」
「やりぃ！　約束だかんな忘れんなよいち！」
「あんた達だけとかずるいわよー。……も、もし余ったらあたしも欲しいなぁ、とか」
「いちちゃんのクッキー、わたしも食べたい。明日お店のキャラメル持ってくるから交換ね？」

……集りに来たのは幼稚園時代から縁のある奴等。俺のこの特技はとっくにバレてる連中。
時折動く菓子屋だと思われてる節があるような気がしないでもないが、悪い奴等じゃない。
人付き合いに難のある俺の事を受け入れてくれているのが何よりの証拠。
彼等と同じクラスじゃなかったら、多分俺孤立しててもおかしくなかっただろうと思うから。

「あれ、ぼくの分だけなの？　でもこれだけあればみんなで分けられ」
「袋ごと掻っ攫われかねないから止めとけ明日俺が山程持って来れば済む話だから！」

……怜の本当に優し過ぎる提案は即却下。
それくなぎの分も入ってるからふたりで分けて、と小声で囁いて漸く納得してもらった。


……はは、その日帰ってよつばマートに追加の材料買いに走ったのはいい思い出だよ。
次の日奴等の分ついでにクラス皆に少しづつ行き渡る分まで持ち込み、
加えて櫻井先生の分も小分けして給食の時に渡したら何故か物凄く感激された。
料理は色々作れるのにお菓子作りだけはどうしても上手くいかないから羨ましいって。

ああ、交換で貰った洋菓子店のキャラメル、はたるに気付かれ家で集られたっけ。
……一人でこっそり食べながら再現頑張ろうとか思ってたのに、とその時凹んだっけな……