◆errare humanum est -2-

――2002.01.07

「市川先生が入院されている間、臨時の担任となった講師の櫻井真史（まお）です」

１年３学期の始業式、彼女は小学校にやって来た。
先生になる試験に通ってなくてまだまだ半人前だけどね、と自己紹介したのを覚えている。
人懐っこい笑顔と長い髪の、子供から見ても綺麗な人だと思えるような先生。
交通事故で病院に担ぎ込まれた市川先生も元気な美人だったが、それ以上だったと、思う。
ただでさえ１年生なんて騒がしい盛り、新しい先生の周囲ではしゃぐ子供達の中……

机に頬杖をついて、“俺”は静かにその様子を一番後ろの席から眺めていた。

何せ早く終わって帰りの時間にならないかと思ってた位だ。
どうせ行く場所など、図書館か図書室か家しか無かったにもかかわらず。
はっきり言って、教室にいる事が苦痛でしかなかった。
『最低限の協調性しか持たない冷めた子』。
それが当時の俺の周囲からの評価だったに違いない。
というか一度通知表にその手の事書かれた。……もう少し表現は穏やかだったが。
双姉のはたるの方が社交的だと言われてた位に、人との関わり合いを嫌がっていた。

……今となっては、信じちゃ貰えないだろうけど。

その日はそのまま寄り道もせず家に帰り、自分のベッドの上に転がっていた。
始業式出ただけで何でこんなに疲れたのか全く分からないまま。

「まだ風邪引き摺ってますですか、いちる」

そんな声と共に入口にひょっこり人影。母さんだ。
……因みにあの口調は素だ。今の俺の普段の口調のベースは完全に母さん譲り。

「昨日まで熱上がってたですから無理に学校出なくても良かったのに」
「……そういうわけにもいかねーじゃん」
「そんな事言って今夜また熱が上がったら修さんに全力でがなられます」
「……母さんそれ何処の方言」

……ああ、修さんとは俺の父さんの事。修平を縮めて修さんと呼んでる。

「さあ何処でしょう？　というわけで風邪じゃないのならお使いをお願い致します」
「何を？　何処まで？」
「よつばマートまでサラダ油とマヨネーズと猫さんのご飯缶を。今日安売りだったです」
「……了解」

起き上がって財布預かって玄関に向かう。

「ワイヤーカート借りてく。雨降り出したし抱えて戻れる量じゃない」
「レインコートは？」
「そこまで雨ひどくならなさそうだし、傘だけでいい」

風が強ければ即座に傘を諦めたが、窓からちらりと見えた雨は真直ぐに降っていた。
よつばマートまで歩いても１０分要るかどうかだから、雨避けも余り必要無い。
さっさと買って帰って来れば雨脚が強くなっても大丈夫だろうと、思った。



「……ミスった」

それが、買い物済ませてよつばマートの外に出た俺の第一声。
何だよこの最悪天候。さっきまで殆ど無かった風が酷くて雨が斜めってる。
レインコート抱えてくるべきだったと後悔しつつ、カートを引っ張って家路を急いだ。
幾ら骨の数が普通のより多い頑丈な奴とはいえ、この強風じゃ傘が死ぬ。
実際傘差してるのに横殴りの雨で濡れ鼠になり始めたし。
注意して歩いてこれなら走っても変わらないと公園の傍を通り過ぎようとして……

……妙な影を見た。気がした。
ずんぐりした何かが滑り台の傍を横切った、そんな気がした。
服が濡れてなければ無視して帰ってただろうが、もう傘無しと殆ど変わらなかったし、
水溜りと泥跳ねしそうな泥濘を避けながら俺は公園に立ち寄った。