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……不肖臥待の、遙か彼方の昔語りを。





--------

何よりも始めに、臥待の名の事を。
此の青星で称す桂城臥待という此の名は……実の所、真ではございませぬ。
臥待の真の名は……ファスメイエ・レハ。
月の民として生まれ月にて育ち――青星と縁を繋いだ者。
されど……月の民の名等、今の臥待にはさほど重きを置くものに在らざりて。
今の臥待の真の名は、此の桂城臥待にございますれば。

……では、先ずファスメイエとしての経緯をば。

レハの氏族は月の民の中でも下層に依るものにございました。
しかし貧しくとも、不幸では無く。
血族の多さに見合わぬ先立つ物の少なさは確かに貧しさに繋がれど、
それでも……寄り添う者多き家族故に満ちる幸せに欠く事はございませんでした。
――あの日が、やって来る迄は。

……丁度その頃の月の政は、不穏と策略と血腥き潰し合いの坩堝にございまして。
特権階級と表現しても齟齬の無い家柄の者共が下々など知った事かと言わんばかりに、
悪政を繰り広げ、特に下層で生きるしかない民を苦しめ抜いていた頃で。
しかしそれでも、レハは暮らしていけたのでございます。
――情け知らずの特権階級が己が醜悪な慰み事の駒として、在ろう事か民を賭ける迄は。

奴等は。
狩人を差し向けた。
下層の民が多く暮らす地区に。
貧しいなりにそれでも幸いを得ていた民の拠り所に。
寄り添う者多いが故に氏族同士の交流も深かった場に。
人の心を持たぬ狩人を差し向けた。
人の心を投げ捨てた狩人を差し向けた。
殴り掛かり突き刺し斬り捨て陵辱し殺すだけでは飽きたらぬ狩人を。
人の営みを壊し砕き燃やし奪い哄笑するだけでは気の済まぬ狩人を。
……差し向けたのでございます。

蹂躙を尽くした狩人が。
どれだけ多くの“戦果”を挙げられるのか。
どの狩人が最も栄誉を与るべき“戦果”を叩き出すのか。
その賭の、為だけに。

レハの暮らしていた下層地区は。
そんな醜悪で残忍で吐き気を催すような賭の為だけに。
――文字通り、贄にされたのでございます。


「……家族を殺されて憎いだろう、全てを失わされて哀しいだろう。
何をすればいいのかも、分からないだろう」

まだ五つの齢だった私を。
血に塗れ煤に塗れ傷に塗れ涙に塗れた私を。

「……だが今はただ耐えろ。逃げ延びろ。復讐はその後でも遅くはない」

抜け殻のようだった私を抱き上げて耳元で囁いた、誰か。

「お前が未だ死んでいない事に奴等も直ぐ気付くだろう。……だから、今は逃げ延びろ」

身に付けていた透き通る衣を私に纏わせた、誰か。

「……小生が今お前を逃がせる先は青の姉星のみ……だがどうか、どうか生き延びてくれ」

――そして、再びこの地を踏み、鉄槌を下してくれ……!!



柔らかく降る、青白い光。
それが、意識を取り戻した時に最初に目にしたもの。

天へ届けとばかりに伸びる、緑に艶めいて節ばった細い植物。
多分刻限は夜なのだろう、天を彩る微かな星の群れ。
今まで見る事も聞く事も無かった幻想的な世界。
その視界が、遮られる。

「野盗の報せなど受けてはおらぬに……如何した事だ」

声の主に抱き上げられる。

「……幼子よ、もう心配は要らぬ。かつらぎ(桂城)の屋敷までもう目と鼻の先だ」

抱き抱えられたままの身体が揺れる。
そして……再び意識がふつりと、途絶えた。


私を竹林にて拾い上げたのは、桂城の御屋敷の若君殿。
――後に臥待が長兄となる、尚連(たかつら)殿にございました。
傷だらけの身体に手当てを施し黒と紅に染まった裂け衣を新しい衣に改め、
床に寝かされた臥待の手を一晩中、握って下さったのでございます。

夜が明け、柔らかな光が外から差し込み始めた頃、
桂城の御館殿である鴇連(ときつら)殿が未だ床に伏した私の元を訪れ、子細を尋ねられ。
……私もどう答えればよいのか思案がつかず。
齢五つの幼子があの惨劇を語る術など持ち合わせている筈も無く。
ただ、此の地があの時の誰かが告げた青の姉星――青星たるこの地球である事と。
私が何がしかの術を用いられて月から逃がされた事と。
そして……私の命を狙うに難くない者が月には居るという事と。
鴇連殿との遣り取りからそれだけは、はっきりして。

「――ふぁすめいえ、と。それが其方の名であったな」
「……はい」
「月に住まう者の話は儂も聞き及んでおる。
時に月を出でて大きな戦を仕掛けてくる事も昔はあったと、伝来の巻物に記されておっての」
「……」
「まあそのような話よりも今此の時の話が先じゃ――ふぁすめいえ、儂の末娘にならんか」
「!?」
「驚くのも無理はない。今朝顔を合わせたばかりの爺にそんな話を振られてはのう。
……だが聞いておくれ、ふぁすめいえ」
「……はい、ときつらどの」
「月より来た其方には勿論、此の地に身寄りも後ろ盾も無い。
例え今暫く安寧が続く桂城であれど五つの幼子が独り暮らすには不安も足らぬ物も多い」
「……」
「其方の命を狙うやも知れぬ者が未だ月に在るとも言う。
――ならば儂等が守って進ぜよう。なに、此の老いぼれとて刀の腕は錆び付いてはおらぬ」
「……」
「儂の連れ合いは陰陽師に連なり、あの尚連は姿に似合わず桂城一の戦河童じゃ。
他の息子も娘も強者揃い、何の不足もありはしないぞ?」
「……ときつらどの」
「まあ、其方が頑なに首を横に振るのであれば無理強いはせぬよ。
だが、此の屋敷の中に在る限り決して無法者になぞ指一本触れさせぬと約束しよう」

月から落ちてきた素性も分からぬ幼子を。
此の御館殿は、拾い上げただけではなく迎え入れ慈しんで下さるというのか。
命すら狙われているやも知れぬ厄介者の幼子を、末娘として。
……何と、何と慈愛に満ちた御方であろうか。

「――おお、おお。そう泣くでないふぁすめいえ。もう悲しい苦しい事なぞ一つも無いからの」

泣きじゃくる私の頭を優しく撫でる、暖かく大きな手。

「……儂の末娘として、此処に在ってくれぬかのう?」

暖かく大らかな声に、夢中で頷いて。

「そうか、そうか。此処に在ってくれるか……
本当にありがとうな、ふぁすめいえ。――おお、そういえば」

ふと首を傾げる鴇連殿――いえ、新しき父君殿。

「ふぁすめいえの名のままでは月の者に易く知られてしまおうに……さて、どうするか」
「――ならば、ふしまち(臥待)と。響きも似ておりますし、昨夜の月も臥待月でしたから」

空腹をくすぐるような香りの湯気を漂わせた盆を片手に現れたのは、尚連殿。

「ああ、暁頃よりも頬の色が赤い。これなら起き上がるに数日も要らないな。
――良く食べて良く休む、これが最も大事なのに最も疎かになる身体の基礎だ」

人懐こい笑みで私の頬に触れる尚連殿の、暖かくすべらかな手。

「臥待、か。まさに月より授かった末娘に相応しい護り名じゃが……
さて、ふぁすめいえには心に抱く良き名はあるかの?」

「――いいえ。私は――臥待の名を、戴きとうございます」

其の時を以て。
ファスメイエ・レハは、桂城臥待となったのでございます。


御館殿であり父君殿となった鴇連殿からは暖かく安らかな日々と青星の歴史とを。
北の方殿であり母君殿となった常葉(ときわ)殿からは青星の文字と歌とを。
最も年上の兄君殿となった尚連殿からは桂城の地理と早駆けの技とを。
他の兄君殿姉君殿からも抱えきれぬ程に与えられ慈しまれ、
桂城の御家来衆殿や里に住む民人殿からも新しき末娘として暖かく迎えられ。
……臥待は、きっと桂城一の果報者であったに違いありませぬ。
其れ程に其れ程までに桂城の里は、屋敷は、慈愛に溢れていたのでございます。

そして、臥待が齢八つの頃。
里の端にある古く傾いだ稲荷宮を修繕したいと屋敷に申し出たのが……
それが、国々を巡る和穂稲荷の御遣い衆殿。
……紛れも無く臥待と、稚都世殿との出逢いにございます。
近けれども全く同じ齢の御方は里にも屋敷にも在らぬ中で、臥待と全く同じ齢の稚都世殿。
――心惹かれたのは、自明の理にございましょう?

「しかし此処は暖かい国にございますな」
「夏は暑過ぎて閉口しておるよ。
冬も確かに雪は降るし寒さも中々のものとて春だけは存外に早いようじゃ」
「なるほどなるほど。しかし羨ましい話にございますな。
京より東へ北へとやって来た筈なのに間違えて西へ来てしまったのかと思う程ですよ」
「何と。……やはり此のあわのくには周りより春が早いのかもしれんの」

御遣い衆の頭殿と父君殿との遣り取りを耳にしながら。

「稚都世殿の得物は此の扇にございますか。
……此の様に房が幾つもある物は珍しゅうございます」
「ええと、オレのおうぎだけ形が違うなのですよ。
ほら、長様のあのおうぎとまるっきり形が違うでしょう?」
「……確かに、まるで大きな葉のような形をば」
「あの形が本当の稲荷おうぎだそうなのです。
九つの房はオレのも同じですが、オレのは試しの都風、だそう、ですよ」
「なるほど……」
「臥待様の武器は……この真っ白な円いものですか?」
「此れは風水盤という名にございます。
臥待の異能は天地を途切れず巡る気の力を借りるものにて、風水盤は欠かせませぬ」

……心に押し込めた唯一の偽り。
月の民の力は隠し、この青星の大気の中で顕現した風水使い――
今の青星では除霊建築士の名にございますか――を称して。


季節は巡り、傾ぐ稲荷宮は往時の美しき姿を蘇らせ。
そして桜もいよいよ花綻ぼうかという頃。
……其れは即ち、稚都世殿との別れが近付く証。
別れ難く、されど和穂の御遣い衆殿としての務めを断ち切らせるなど出来ようも無く。
故に、臥待は桂城で得た最も霊験あらたかな護物を託そうと思い立ったのでございます。
……父君殿が都で購い、臥待への土産として携えて下さった黒塗りの御守り小箱を。
臥待の其の申し出に首を振った稚都世殿は、ならば取り替えを、と。
其の言葉と共に稚都世殿自身の御守りだという香木と紅玉の腕輪を差し出して。
――互いの御守りを交わし、何時かの再会を願い約を交わし。
そして、明日に催される稲荷宮の儀式を共に待つばかりだと、疑いもせず。
疑いもせず。


……されど。


「……夜分遅くに此の狼藉、何者にございますか」

網戸も御簾も跳ね上げ現れた幾つもの人影。
月を背負うが故に人影達の顔も纏う衣も暗く分からずで。

「――次代の御座を昇られし貴き御身への此の様な無礼、平に」

次の瞬間、十にも満たぬ幼き娘の眼前に躊躇う事無く額付く人影達。

「御座の主として御迎えに上がりました――次代月帝姫、ファスメイエ殿」
「……月帝、姫……?」

遙か遠くに追い遣った記憶。
凄惨な結末で塗り潰された月の記憶。

臥待が住む此の青星の中の小さな島国を束ねるが帝(みかど)なれば。
同じくして月全ての主の名に於いて全ての民を束ねるが、月帝姫。
父君殿の昔語りでは、時に大軍を率いて青星を攻め落とさんとした者。
あの地で唯一、月の民全ての心を己がままに染め上げ統べ得るという存在。
レハとして、下層の民として知り得た知識は其処迄なれど。

……ああ、もう一つあったではないか。

ファスメイエとして私が生まれたレハの家族を。
例え下層の地なれども民が恩恵として得るべき安寧を。
貧しくとも温かく、夜が来れども眠れば必ず明日があるのだという日々を。
――其の全てを結果的に踏みにじった存在、と。

「……屍と血と煙と絶望に満ちた地の穢れを纏う娘に下げる頭では無かろうよ。
戯れ言を吐く暇なぞ在るならば疾く失せよ」
「空輿のままでは戻れませぬ。――何卒、御座へ」
「疾く失せよと言うのが聞こえぬのか。ならば何度でも言おう――無駄骨だ、疾く失せよ」
「……何卒」

「――聞こえぬのか! 疾く消え失せよ!!」

凍てし光。
青白く、凍えし光。
其れは月の民の異能が一。
触れし者の生命を砕く、青白き月光。

幼き娘の異能なぞ既に長じた者に適う道理なぞ在る筈が無く。
同じ月の民ならば、尚更の筈で。

……されど。

呆気無く、砕けた。
凍えし月光を浴びた影が一つ、氷像と化して……呆気無く、砕けた。
転がるのは、大小の氷片と化した男と思しき青白き屍。
息を呑む音は一つでは無く。
……初めて他人に激情のまま月煌絶零を放ちし私も、例外では無く。

「……幼き齢ながら既に我等を圧倒せしむその御力こそが全ての証。
真に月帝姫の御座を預かるに相応しき御方……レハの御落胤、ファスメイエ殿」

額付くままの人影が震える声で吐き出す繰り言。
――額付き昇殿を乞うている筈の者の声に滲む穢れた色。
畏怖。
侮蔑。
媚び。
傲慢。
翻意。
……口先だけの恭順で、青星の愛し児の列に並ぶを果たして許された私を浚うか。
世を知らぬ幼子に額付き諂う裏で、御座に不相応の卑しき下層の娘ぞと蔑むか。
己が月煌絶零の凄まじさに一度は掻き消えた筈の激情が、蘇る。
故郷である筈の、緑満ちる力に溢れた豊かな月は、
月の上で生まれた娘の一人たる私に一体どれ程の絶望を擦り付ければ――!!


凄惨の一語。
息をする者は一人も無く。
額付き媚び乞い諂う人影だった者達が散乱する部屋。
死が満ちる中で立ち尽くすは私ただ一人。
……ああ、外に私を担ぐ為の空輿があると言っていたか。
なれば壊し尽くしてしまわねば。
私はもう青星の娘、桂城臥待なのだから。

庭に降りた私の目に映る色無き輿。

「――迎えの者達は如何なされましたか、姫君殿」

輿のすぐ傍から響いた声。

「……あのような者共を此の青星の土に還すは不本意だったが」
「殲滅致しましたか。――青の姉星でお美しく健やかになられましたな」

欠片の驚きも混じる事無く飄々と。

「今更になって詫びねばならぬなど愚かな事ですが。
小生、羽衣の操り方を其方に何も告げず空へ放ってしまったが……要らぬ杞憂でしたか」

羽衣。
其の単語に思い至る物があり、部屋へと戻り葛籠を開ける。
竹林に倒れていた私が纏っていたという透き通る衣。
遠い記憶の中、私を抱き上げた誰かが私に纏わせた衣。
……確かあの時の誰かも、小生と称していなかったか……?
衣を手に再び庭へと降りた私の姿を見て柔らかく微笑んだ、
母親程に歳が離れていると思われる年嵩の女性。

「感じるがままに羽衣を操り、選り抜きの暗殺者共を殲滅せしむる。
……確かに空輿で帰るには惜しい潜在の才ですね」
「……暗殺者?」
「混乱の空座を埋めるべき次代月帝姫は必要でも我等が意に添わぬ人形は要らぬ、
そういったどす黒い事情とやらですよ。……其方を逃がした時と何も変わっていない」

柔和な顔立ちに浮かぶ、哀しみの色。

「月帝姫に相応しい異能の才と聡明さを持つ者はそれを妬む者の取り巻きに狙われ、
亡き者の無念を晴らすとばかりに復讐が繰り返される。
己が身を高貴と嘯く者共の反吐の出る争いの末に、
座に就くべき適格者は誰も居なくなってしまったというわけですよ。自業自得です。
……しかし誰かが嗅ぎ付けた。四年前の事を。
あの最低の賭で唯一刃を逃れた幼子が居て、しかも姉星で育っている節がある……とね。
選り抜きの狩人の手から逃れた上に姉星へ渡れた幸運は月帝姫として遜色無かろう、と。
その噂を聞いた時は背筋が凍りました。
あの地獄から逃げ延びて今を生きる其方が再び狙われる事になろうとは。
だから数少ない硬骨官吏の力を借りてこの行列にねじ込んで戴いたのです。
有事の際は小生の身を呈してでも其方を庇わねばと」

しかし結果はこの通りですから小生の出る幕は無く、と笑い。

「暗殺者共は当時の狩人共ですよ。
唯一の汚点を濯ごうと躍起になっていましたけどね、でもこれも自業自得。
其方から全てを奪った業をその身に返されたと」
「……貴女は、臥待に何を望むのでございますか」
「小生は其方が悔いぬ道を其方自身で選んで欲しいだけです。
……確かに復讐を望むのなら生き延びろと小生は言いました。あの死の瓦礫の中で。
だが今の其方は、真にこの姉星に必要な娘となられた。
その全てを捨ててまでも月へ戻れなんて小生などが口にしてはならぬ事なのですよ」

「……されど、もし臥待が月帝姫の座を埋めますれば、月は変わりましょうか……?」

「変えようと欲すれば変われましょう。月帝姫とは、そうあられる方ですから」

変わらぬ月。
その月の上で、何人も何人も私が新しく生まれているのだろう。
全てを奪われた、沢山の私が。
違うのは青星に逃がされた幸運が、月の上の沢山の私には無い事だけ。
たった一つ違うだけで。
天と地に分かたれる程に。

「――大事無いか、臥待! その者も部屋の狼藉者が一味か!?」

抜き身の刀を携えた尚連殿の、兄君殿の姿。

「兄君殿、此の方は臥待の――ファスメイエの恩人にございます」
「桂城の夜を騒がせ申し訳ございませぬ。
小生、ニナイと申す月の爪弾き者崩れにして官吏の末席を暖めております」
「ファスメイエの……そうか、臥待を月から逃がして下さった方か」
「姉星に障り無く辿り着きしは姫君殿の才、小生は何も。
……それに今宵の小生は狼藉者、姫君殿を月へ拐かそうとした訳ですから」

先程私に語られし事を尚連殿にも語るニナイ殿。
全てを聞き終えた尚連殿……兄君殿が私へと向き直る。

「子細は分かった。……臥待は、お前自身はどうしたいのだ?」

羽衣を抱えたままの私の手を取る。

「もしお前がこの桂城に残りたいのなら残ればいい。
月からどれ程の軍勢が来ようともけしてお前を渡しはしない。あの日約束した通り。
……だがもし、生まれ故郷を変えたいというのなら……私はお前の武運を祈ろう。
桂城と月に分かたれようとも、お前は真に私の妹だ」
「兄君殿……臥待が月を選びし時は、引き留めては下さらぬのですか」
「引き留めて翻る決心など決心とは呼ばぬ。……違うか?」

家族である前に武人たらんとする癖がどうにも抜けぬ、と苦笑する兄君殿。
いつの間にか父君殿や他の兄君殿、御家来衆の屈強な幾人かが私の部屋から現れ出る。
部屋から漏れる明かり、尋常ではない物音や争い声を聞きつけて来たのだという。
……部屋の惨状を引き起こしたのが他ならぬ私と知れば、何を思うか。

私が戻れば、月は変わる。多かれ少なかれ。
唯一、月帝姫という存在が成し得る事。
其の御座は――唯一無二なれど未だ空座の其れは、私の前に。

「――参りましょう」

静寂の中で、凛と響く声の主は。

「桂城の、青星の安寧と……月宮廷の変革が為に。
此の臥待、慈しまれ与えられし全てを以て恩義を果たしに参ります」


月に戻りし臥待が最初に為したは、文字通り宮廷内派閥の一掃。
あの夜より昼も夜も臥待の傍に侍るニナイ殿や心堅き官吏達の力を借り、
全ての善行も悪行も白日の下に晒し。
四年前のあの惨劇に荷担した者達は身分の軽重如何を問わず一切容赦を与えず放逐し。
中には数多の怨恨を被った末に一族郎党皆殺しとなった特権階級も存在すれど……
墓標へせめて花だけは、と供えに行く事もございました。
復讐ばかりでは月は変わらぬのだと、事在る度に心に刻み込みながら。

そして、もうひとつ。
出自を問わず、学び積み重ねる事に意欲在る者達を集めた学舎を。
……自浄を願えども、宮廷はそう簡単に変わるものでもありませぬ。
再び其の身の高貴さを嘯く者共が声を挙げるは必至。
そして確実に、青星で類無き知識を蓄えたとて下層の身たる臥待の排斥に動く事も、必至。
ならば。
――月帝姫たるべき知識と徳とを学び得し者達を数多く育て上げれば。
例え御座に就かずとも正しく官吏として月を統べる為の支えとなれば。
さすれば身分の軽重など……只の戯れ言にしかなりませぬ故に。

臥待が此の身で御座を守りし年月は僅か2年。
下層の余り芳しいとは言えない環境を為し得る限り改善へ導き、
御座を預かる身とは如何にあるべきかを学ぶ年若き者達に助言し、
やはり一筋縄ではゆかぬ宮廷の風通しを幾ばくでも良く在れと奔走し。
……御座の主でありながら皮肉な事に、
御座に深く腰掛け周囲を見下ろす事など殆どございませんでした。
全ては生まれ故郷の月の変革が為。
そして月と青星の安寧が為。
慈しまれ愛された恩義に、報いるが為。

……そして。

「――幾らでも迷えばいい、悩めばいい。それが、貴方を選んだ理由」

私より遙かに高い背の相手を見上げて微笑む。

「貴方の父母が何を為したが末、如何に在りきか……其の事実は消えはしない。
だが其処で時を止めてはならぬ。止まれば何も変わりはしない」

恨みも悲しみも乗り越えねばならぬ。過去に囚われてはならぬ。

「此の2年、貴方は全てから目を逸らさずに此処に在り続けた。
だからこそ、私は貴方に全てを託そう。
――願わくば、月と青星が共に安寧たる日々を。全ての民に慈しみを」

何事か言葉を紡ぎ出そうとする『次代』を手で制し、歩き出す。
此の身の月帝姫たる力の暴走を封じる限り無き眠りへと。

……漸く、漸く夢の世であろうとも焦がれし逢瀬が叶うのだと。
青星の日々と、慈しみ育てて下さった桂城の皆様と、そして……。


……されど、逢瀬は思いがけぬ形で果たされました。
青星にて生まれ月を目指した末の妹御……銀誓館の理事長との邂逅。
次々と目覚める歴代の月帝姫達と共に宇宙を駆け、禍御霊を退け。
そうして……果たして臥待は今此処にあるのでございます。
どれ程恋い焦がれどもけして二度とは戻れぬのだと覚悟していた、此の青星に。





「……御座の継承者は、かつての仇敵にも等しい存在の子供だったって事か」

長机越しにぽつりと呟く殿方――稚都世殿の兄上殿に、頷き。

「……彼の他は家族全てが行方をくらませど、彼だけは宮廷へと現れました。
――与り知らぬとて親が犯した罪を償う為に己が首を差し出す、と」

子供の首では到底足りぬが、果たし得る限りの罰は受けると。

「故に、彼へと申し上げました。『首を分かつ前に全てを学べ』と」
「……良い月帝姫様になったと思いますですよ。臥待様が選んだ方なのならば」
「そうであった事を祈るばかりにございます。
青星への旅路の折に姿がありませんでしたから、未だ月で眠りの中なのやもしれませぬ」
「? 皆様が皆様目を覚ましたわけではないのですか?」
「古の月帝姫殿等が末の妹御を信じた事で呼び掛けに応えし者が眠りより解き放たれ、
確か360名を越える兄弟姉妹が縁を結び月より青星へ馳せ参じたとの事にございますが、
遙か昔より月を統べて眠る月帝姫が其の数で済むとは到底」
「……だよな。それに、未だ眠る月の民を守っていたのが他ならぬ眠る月帝姫達だとか……
だったら事実を知ってなお眠り続ける事で彼等の未来を繋ぐ選択をした人だっていた筈だし」
「何時か再び逢い見えた暁には、積もる話など尽きぬやもしれませぬ」

泡が浮かんでは消える、甘く涼やかな桃の水を口にして。
ひとつ、息を吐き。

「……未だ醒めぬ夢の中のよう……此の時に及んでも猶、姉星に降り立ち在るという今が」
「大丈夫です臥待様、けして夢ではないのです。
オレも臥待様も兄上様も他の皆様も……ちゃんとここにいるのですよ」

私の手に重なる手。
蒲公英の色した黄金の髪と、淡い紫の大きな瞳。
あの日永久の別れとなった時と寸分変わらぬ其の姿。
……私には、微笑み頷く事が精一杯で。

「……そういえば、兄上様」
「どうした?」
「ここに毛布とかお布団の余裕ありますですか?」
「雑魚寝対応程度なら在庫は。……ああ、成る程そういう事か」
「如何為されましたか、稚都世殿」
「臥待様は今日地球に来られたという事は、お住まいとか何も決まってません、よね?」
「……仰る通りにて。何と此の時まで失念とは臥待の不覚にございました」
「あ、ええと、今日はオレが無理を言って兄上様とここで休む事になったですから、
今夜はご一緒しましょうです。それで明日から先は明日決めればいいのですよ」
「まあ今現在俺と稚都世は俺の姉共々親戚の家に寄せて貰ってるんだけど、
話を通せば臥待さんも多分大丈夫じゃないかなとは」
「さりとて縁も縁も無き娘を留め置くなど無理がございませぬか」
「……ああ、うん、その辺は紆余曲折の事情でオープンな人だから寧ろ歓迎されると思う」
「オレも一応養子として親戚になった事もあったとはいえすごく喜んでらしたですしね……」

複雑な表情で顔を見合わせる稚都世殿と彼の兄上殿。


「――夜分遅過ぎてすみません、ブラックで珈琲戴けませ……あれ? お客様でしたか?」

不意に扉の開く音、女性の声。

「大丈夫だよ典杏(のりあ)。普段通り専用マグで表面張力を争う容量?」
「お願いします一寸今夜は寝落ちたら洒落にならないんです、
でもこの時間に珈琲店は何処も開いてなくて最後の頼みが此処なんです」
「もう自分用の電気ポットと珈琲でも買ってしまえばいいのに」
「自前はどうにも美味しくないんです、良い物ならばと色々試しましたが」

疲労困憊といった様子で空いた椅子に腰掛けた、私よりは幾らか年嵩の女性。
稚都世殿よりも淡い黄金色の髪、赤味の混じる紫の瞳。
大きな厚手の杯に並々と注がれた湯気立つ黒い液体を物怖じする事無く口にして。

「典杏様、こーひーの飲み過ぎは眠れなくなると聞いてますですが大丈夫なのですか?」
「寧ろ寝てはいけないので望む所です、明日〆切なのに目途すら立たずで」
「……何をした、典杏」
「何もしていませんよ、只の評論を読んでのレポート課題です」
「ああ、典杏の鬼門分野か……」
「そういう事なんです」

典杏殿と御呼びするらしき据わった瞳の女性が真顔で告げた返答に、
やれやれといった風で杯の横へ板状の破片が幾つも入った皿を置く兄上殿――いちる殿。

「あれ、ちょこれーと典杏様だけですか? 兄上様兄上様、オレ達にも下さいなのですよー」
「ち、目敏いな稚都世……ソーダの分含めてちゃんと歯磨きしないと虫歯一直線だからな?」
「……ちょこ、れいと?」
「あら、ご存じありませんか割れチョコ」
「無理も無いよ、彼女は今日まさに月から来た子だから」
「と言う事は今話題の月帝姫がお一人ですか。
――初めまして、銀誓館高校部1年の堤典杏です。どうぞお見知り置きを」
「お初に御目にかかります、桂城臥待にございます。
何も知らぬ身にて御迷惑を掛けるやもしれませぬが、何卒御容赦下さいませ」

居住まいを正して礼を返し顔を上げると……きょとんとした風の典杏殿の姿。

「かつらぎ、ですか……どんな字を当てるのか伺っても?」
「月に在ると伝え語られし木である桂に、城と」
「どうしましたですか典杏様?」



「……桂の城……その字を当てる名が記された物を、確かに見た事があるんです」
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