@ PBW(Play By Web) "SilverRain" & "PSYCHIC HEARTS"
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夏至も七夕も過ぎて久しいが、天を巡る太陽が今からこそ己が領分と主張する文月。
遮る物無き陽光が燦々と降り注ぐ真昼時。
季節毎に当ても無く鎌倉市内を彷徨う菓房、夏の宿りは高台の御茶店跡。
その店内、カウンターの奥でががががが……とミキサーを回す青年がひとり。
かなり硬い物を砕いているのか、時折小刻みに揺れるミキサー。
その揺れが収まり異音も小さくなった頃、中身を掬い上げて深めのマグカップに盛り始めた。
中身――淡い黄色のソルベを掬うのに使ったスプーンを洗うのが面倒だと口に咥え、
そのままマグを手に風鈴が涼やかな音を立てて揺れる窓辺へと移動しようとして。
「――学園にもバイト先にも自宅にも居ないとなれば、やはり此処だったか」
入口から響く、青年にとって聞き慣れた声。
「……渕埼先輩?」
咥えていたスプーンを口から離した青年が声の主へと向き直る。
向き直り……しかし眉根を寄せて一番近い卓の上をこつこつと指で叩いた。
問答無用で一寸此方に来て下さいと言わんばかりに。
「――この炎天下、帽子も日除けも無しで此処にとか自殺行為にも程がありませんか程が」
「……いや、そう大した距離じゃ無いだろう此処なら」
「その前に一縷樹にもNataleにもその隣の家にも寄ったと言いましたよね先輩。
――此処、完全に逆方向ですけど?」
……街中なら兎も角この辺は碌な日陰も無かった筈ですが。
そう目の前の相手に問いながら、青年は奥の冷凍庫からバットを取り出した。
中に残っていた氷状の塊を幾つも幾つもミキサーへ放り込む。
「仮にも武術を嗜んでいる方が現状の『異変』に気付かないとか一体何やってるんですか」
「異変?」
「……先輩、最後に水分を摂ったのは、いつですか?」
――鏡で見せたい位に顔が真っ白なんですけど。
5歳年上の先輩に使っていい筈の無い低温の声音で、青年はそう呟いた。
「まだ試行錯誤真っ只中の物ですけど、蜂蜜漬けの梅をベースにしたソルベです。
この季節、甘過ぎるよりもいっそこういう物の方がすっきりするかと」
ことん、という音と共にソルベ入りのグラスボウルとスプーンを来客へと供する青年。
俺としてはかなり色々と足して角を丸くした心算なんですけど、と続け。
……ソルベではなく液体を足してスムージー風にでもしてしまおうかと一瞬考えもしたが、
流石に諸々強制摂取して戴こうとはいえスポーツドリンクとは味の相性が悪かろう、と。
寧ろソルベの上に塩でも振ってしまえば、と更に酷い案も頭を過ぎりはしたが、
結局は氷水入りのグラスを足すだけに留めたようで。
「まだ酸っぱいと感じるようなら蜂蜜足して下さい。俺の味覚に合わせる必要無いですから」
示した先には蜂蜜入りの小瓶。
蓋に付いた取っ手の引き金を引くと注ぎ口が開く構造になっているらしい。
「元々思いきり酸味を効かせて作ったらどうなるだろうって実験の産物で梅の含有量高くて。
まあ俺自身はそれでも良かったんです。色々と限界が知りたかったし。
ただ、興味本位で口にしたらしきはたから貴重な貴重な御意見を賜りまして。
――曰く、『可食品として間違ってる』と」
流石に双子の姉、選んだ言葉に容赦が無い。
だが、其処まで言わせた程に実験作は酸味の度合いが突き抜けていたとも推測は出来る。
よく考えたらこの青年、常人が吹く濃度の林檎酢ソーダを普通に飲み干す嫌な特技持ち。
……そういう人間の許容範囲限界での酸味とは一体如何程か。
「……初期段階を口にしようものなら確実に違う世界を見ただろうな、例え俺だったとしても」
「渕埼先輩までそんな事言いますか……」
何故かチョコクリームが追加された海鮮お好み焼きよりマシです、と青年は項垂れたが、
その返しに先輩と呼ばれた相手が彼以上に黄昏れた雰囲気と共に目を逸らした事は……
知らない方が、気付かない方がいいかもしれず。
……というか、お好み焼きにチョコクリームという例示自体色々と何があった。
「だけどそもそも、何ではたが勝手に試作品凍らせてた製氷皿持ち出したのか。
……それが今回一番の問題だと思うんだけど全く理由が分からないし思い付かない」
「普通の氷と間違えたとかではないのか?」
「皿の色も材質も違う上にそれだけ分けて隅っこに置いてたんです間違えようがない」
何より氷の色自体が完全に違うじゃないですか、とマグの中のソルベをかき回す青年。
外見や声質はそろそろ何とか成人と偽れそうな成長具合に達してはいるが、
それに反して仕草や語調はまだまだ年相応か更に低めを疑える。
「……一寸待て、その時点ではたるに問い質しはしなかったのか?」
当然の疑問が浮かんだ相手が尋ねてみると。
「……殺意と見紛うオーラを放ってて聞くに聞けませんでした」
コンマゼロで諦めたと言わんばかりの答えが返ってきた。
「――そういえば。渕埼先輩、どうして此処まで」
一縷樹キャンパスやNatale兼自宅まで虱潰しに当たる程の用件なら、
さくっと携帯で呼び出す方が早かったんじゃ、と。
「いや……『直ぐに逢えるか』よりも『何処にいるか』の方が重要だったんでな」
「ああ、中心部より離れてて邪魔や第三者がいない場所であれば尚良し、ですか」
「……一寸待て、いちる」
今の話だけで何故ど真ん中の推測を、という驚愕混じりの表情を浮かべた相手。
相手の変化にきょとんとした表情で返す青年。
「だって最初は学園、次が俺のバイト先、その後が隣の自宅。
場所を移るにしたがって不特定多数に会う可能性がどんどん減ってますから。
ただ夏休み中だって事を鑑みると学園の選択肢は無くても良かったんじゃないかと思うけど。
……だとしても、いや、だったら尚更先に俺が今何処なのか携帯で聞いた方が……」
……二度手間にならずに済んだんじゃないんですか、という言葉は飲み込まれ。
沈黙するふたりの横の窓辺でちりり、と風鈴が鳴る。
何だろう、この何とも言えない既視感。
「……まあ、それは置いておいてくれ。いちるは此処で何を?」
「半分は店番です、結社とはいえ一応菓房ですから。もう半分は一寸細々と片付け事を」
「片付け事?」
「ええ。――向こうのテーブルを占領して色々と」
青年が指差した先、カウンターに一番近い奥の卓の上は煩雑極まりない状態だった。
広げたスケッチブックの上に色鉛筆やら付箋やら方眼紙やらが散乱し、
周囲にはジャンル一切無視を疑いたくなる位に様々な本や雑誌が山積みに置かれ。
横を覗かずとも雑誌の嵩が明らかに異様な程膨れているのが分かるが、
無数のドッグイヤーや挟み込まれた紙のせいだろうか。
「……メモを飛ばさない為の重石代わりが食べ物なのはどうかと思うが。
粗末な扱いはいちるらしくないな」
「ああ、それですか。――食べられるものなら、どうぞ?」
くすり、と悪戯じみた笑みを浮かべる青年。
その様子に怪訝そうな表情をした相手が“それ”を摘み上げる。
「――偽物(フェイク)!?」
「ペーパーウェイトですよ、残念ながら。一瞬じゃ分からない位には頑張った心算ですけど」
点在していたのは慎ましやかなデコレーションを施されたマカロン、の紛い物。
所謂スイーツデコという物だろうか。
だが施した装飾が最低限な事もあって尚更本物と見分けが付かない状態で。
「……まあ、本物を作る方が遙かに楽だったってオチも付きますけど」
「本物すら作り方の想像がつかんぞ、俺は……」
……多分普通の高校生だったら偽物作りの方が遥かに楽な筈なんですが、マカロンって。
「それにしても……山のような資料だな」
「でも本は明日一気に返却です。数冊は既に予約が入ってて延長が出来ないので」
「返却? ……これ全部大図書館なのか、出所は」
「大図書館です。街の図書館以上の蔵書数とジャンルの多彩さに時々本気で怖くなります」
銀誓館学園大図書館所蔵の識別シールが背表紙に貼られた本を選り分けていく青年。
積み上がって行く背表紙を眺めていた相手が、ふとそのうちの一冊を抜き取って頁を捲る。
「なんだ、無いと思ったら此処にあったのか」
「……え、その本の予約申請してたの先輩だったんですか!?」
「いや、申請を出そうとしたら既に予約済でな」
相手が手にしたのは日本とその隣国で生まれた紋様の歴史と形状、派生を纏めた大型本。
「この本で少し調べたい事があったんだ。丁度いい、此処で見せてもらおう」
「メモとかペンとか勝手に使っちゃって構いませんよ、流石にスキャナは無いですけど」
「試験帰りだから筆記用具は持っているよ。名称さえ控えておけば後で検索が出来る」
すぐ傍の椅子に座りバッグから取り出したノートの白紙部分にシャーペンを走らせる相手。
その様子を邪魔しないよう、対面の椅子に掛けた青年が卓上の方眼紙と色鉛筆を手にした。
目の細かいその方眼紙には既に数色の模様のような物が書き込まれているが、
その続きを印し始めたのか模様の数も色も先程以上にどんどん増えていく。
……色鉛筆が奏でるその音にふと視線を上げた相手の様子には気付かないまま。
「――本当に、俺の周りは抽斗が多い者ばかりで羨ましいよ」
呟きに溶け込んだ微かな羨望。
声に混じる色の僅かな変化を感じ取り、青年が色鉛筆を持つ手を止め顔を上げた。
「抽斗もそうだが……他にも、色々な」
「……先輩がそれを言いますか?」
経験も、実力も、知識も。
尊敬の対象である相手には未だ遠く及ばない。
多分数ヶ月先に銀誓館へ編入した事それだけが、唯一のアドバンテージ。
だが、それすら、もう既に霞み消えそうな程に。
「そうか? だがすべて逆の事も言えるだろう?」
経験に囚われない直感。
及ばぬ実力を補う戦術。
知識の枠を越える発想。
――理性に凝り固まらないが故の、逆転のアドバンテージ。
「考え過ぎて理屈に囚われる俺からすれば、充分に羨む対象の一人というわけだ」
「……感情先行なのも碌な事無いですよ、冗談抜きで」
「高校生が言うには些か早過ぎるぞ、それは。ただでさえ自律が過ぎる所があるというのに」
数年関わってきて我儘の一つも聞いた例が無いよ、と笑う相手。
我儘なら今迄に何度強行してきたか思い出したくもない、と眉根を寄せる青年。
「……どこがだ」
「どこがって、我儘が。今迄幾つも幾つも」
「いや、だからどこが……」
既視感全開の沈黙、再び。
BGM代わりの風鈴と葉擦れの音。
「……それにしても全然纏まらない」
脈絡も無くそうぽつりと呟いたのは青年の方で。
「時間、余り無駄に出来ないのに」
目を伏せて溜め息を吐くその理由に、どうやら相手には何か思い当たる事があったらしい。
「……なるほどな。いちるが此処を選んだ理由はそれか。
だが、ああでもないこうでもないというのも今では嬉しい悩みなんじゃないのか?」
「……誰相手でも変わらない。ああでもないこうでもないで必死になるのは誰に対してでも」
相手の問い掛けに潜むもう一つの問いを無意識に察したか。
青年の口調に、荒さが僅かずつ混じり始める。
「……感覚ずれてたり的外れな物贈るわけには絶対にいかねえし、
反して相手に拠っちゃ嫌がらせ寸前の発想出さないと勝負にならねえし」
「……後者の対象が誰なのか想像に難くないな。未だ心が折れていないのはいちるだけだ」
予測不可能な発想を当然のように繰り出す存在に真っ向から食らいつくのは、と苦笑し。
血縁だから、だけではそうなる筈もないが……こうもまでに彼を駆り立てる理由は一体何だ。
「……あの馬鹿従弟に関しては別としても」
仲が良いのか悪いのか判断に非常に困る一言が更に飛び出してもいるが。
「――これは嬉しいと言うよりは、挑戦し甲斐がある、なのかな」
青年の手が、未だ開いたままのスケッチブックに触れた。
色が踊る紙の上に指を滑らせ、静かに瞼を閉じる。
「笑ってて欲しいから。俺のエゴだとしても。此処に居る、必ず待ってる、そう伝えたいから」
事も無げに。
拍子抜けする程に、事も無げに。
「遅きに失してるにも程があるとはいえ曲がりなりにも自覚した以上は……
あの、ええと、渕埼先輩何で笑って、て一寸待って何なんですかその顔は!?」
「……いや? 若者は素直で宜しいと思っただけだが?」
「待って下さい一体何がどうなったらそういうとんでもない帰結に!!?」
がたん、と椅子鳴らし卓に手を付いて立ち上がった青年の様子が尚更おかしさを誘ったか、
くつくつと堪え噛み殺す事もとうとう諦め、笑い出した相手。
「さっきの一言、どう解釈しても惚気以外の何物でもないぞ? なに、幸せそうで大変宜しい」
「なっ!? ……ええどうせ俺から告白する以前の問題で逆にされて初めて、
目の前の相手に片恋抱いてたんだって気付いたとかもう指差して笑えばいいんだ……っ」
余程狼狽したのか聞かれもしていない事まで自ら暴露し、
顔を背け片膝を引き上げて椅子に座る様子は最早年端も行かぬ子供にしか見えず。
うっすらと涙まで浮かべている辺り、青年にとっては相当クリティカルな口撃だったらしい。
――だからこそ、彼が気付く筈も無く。知る筈も無く。
万華鏡のようにくるくる変わり今は涙混じりで拗ねるような彼の表情を眺める相手のそれも。
瞼を閉じていたが為に、あの言葉を聞いた瞬間の相手の表情も。過ぎった感情も。
そもそも、相手が此処まで彼を訪ねてきた理由も、熱中症状を疑うような様子の中に、
既にその時点から微かな違和感が混じり込んでいた事にも。
気付く筈も無く。
知る筈も無く。
……何せ相手自身も、敢えてそれを語らぬ尋ねぬ事にしたようだから。
此処まできた理由を自身で失した形だが、どうやらそれでいいのだと結論付けたようだから。
それは葉月の朔日、ほづみの足音が聞こえ始めた頃の昼過ぎの事。
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