◆2010.06.15 23:04

電波時計が正確に厳粛に時を告げる。

１６年前の、たった今。



――此処から北にある柳の都で、私『達』は生まれた。

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「……漸く、梅雨の始まりね」

返事が戻らぬ事を承知の上で、敢えて言の葉を紡ぐ。
例年なら既に雨が降り続ける時期だというのに、今年はやっと昨日梅雨入りしたという。
その上梅雨入りしたと報じられたにしては……雨も疎らで。
先程からの雨も降っては止んでの繰り返し。
その様をNatale――母の兄が営むトラットリア――の２階テラス傍で眺めている私。

膝の上には革製のトートと、薄紅色の手袋。
どちらも私に合わせて誂えたかのようにぴったりだった。

……まだ私が此処に、鎌倉に来てから３ヶ月程しか経っていない。
それにもかかわらず届いた、私に宛てられた祝いの品。
更に初めての依頼の為に詰めていた教室でも、仲間となる方々に祝いの言葉を戴き。

正直に白状すれば。
同年同月同日同時刻に生まれた私の半身とも言える存在ならば、まだしも。
……まだしも、私にまで届くとは思っていなかったのだ。
膝の上の重みに、言祝ぎの言葉に、まだ実感が湧かない。

「……ちゃんと明日は笑う事ね」

互いに背を預ける形になっていた相手に、返事が戻らぬ事を承知で、再び。


記憶を封じるという事。
記憶を取り戻すという事。
……私には経験の無いそれは、ただ想像するしかない。
想像するしかないが……直感的に分かる事もあるし、経験則として分かる事もある。

昔に、似ている。
そう思った。

自分自身と世界の中で、自分という存在が強過ぎるが為に周囲が霞んで見えない。
……それが、私。
そんな世界の中で、一番はっきりした輪郭を保ち続ける存在。
今私の背に背を預ける相手は、そんな存在だ。
１６年間、変わらず。
私は見えぬ世界を見る為に、『彼』という存在のレンズを通し続けていた。
それでも最近漸く、自分という存在の光を抑えられるようにはなってきたけれど。

……逆に、彼は、世界の方が眩し過ぎるが故に自分こそ最も透過する存在なのだと言った。
私という存在の鏡に映って漸く、此処に居る自分の輪郭が朧げにでも分かるのだと。
遠い、遠い昔に。そう言った。


「……怖い」

不意に戻ってきた言の葉は、『彼』の偽り無き本音である筈で。
何が、とは聞かなかった。

「今まで出来てた事なのだから、難しくは無いでしょう？　……分からなくは無いけどね」

彼の膝の上にも革製のトート。紋章の形と色、石の色を除いては私の物と寸分変わらない。
手袋の代わりに、送り主の茶目っ気が存分に現れたとしか思えない一冊の本。
そして伝統の技が生きる揃いの包丁と、白に白の意匠を重ねた様が余りにも綺麗な傘。
先程共に口にした真白のケーキも、彼宛にと届いた品だった。

「踏み込んではならない線を踏まなきゃいいだけの話よ。今まで普通に出来てた事よね？」

……そう諭しはしても、彼にとって『再び』難しい事になったのは私にも分かる。
記憶を取り戻すと言う事の弊害に、今になって惑わねばならない辛さは如何程か。
透過するが故に敢えて避け続けた世界に、透ける手で触れねばならない怖さは如何程か。
自分が何処に居るのか分からない、そんな中で境界を見誤ってはならない重圧は……。

……だけど、私の弟は流石に其処まで柔くない。

「――躊躇うよりもむしろ、立ち止まらず走りなさい。私も、もう迷わないから」

きっと今覗き込んでも未だに真っ赤な目をしているに違いない弟へ、再び紡ぐ言の葉。
……泣く事が嫌いなくせに２人きりになった途端、緊張の糸が途切れたのか涙を零し続け、
それでいて声は一言も零さないのだから……器用と言うべきなのか、違うのか。

「……笑いなさい、ね」
「……ああ」


１６度目の誕生日。



――また明日から、新しい日々が始まる。


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 初めて鎌倉の地で、ふたりで迎えた誕生日。
想定外の祝辞に戸惑う双姉と、過去と現在の狭間で懼れる双弟と。

皆様への御礼は必ず。
……双子揃って挙動不審な言動になっているかもしれませんが御容赦を。